SPORTS FIELD

さまざまなジャンルのスポーツニュースを取り上げた 5ちゃんねるまとめブログです。

フィギュアスケート

1: 名無しさん@恐縮です 2024/03/01(金) 22:49:56.00 ID:7ruMEmVa9
スポニチ[ 2024年3月1日 22:30 ]
https://www.sponichi.co.jp/sports/news/2024/03/01/kiji/20240301s00079000762000c.html

フィギュアスケート世界ジュニア選手権第3日 ( 2024年3月1日 台北 )

女子フリーが行われ、SP2位の島田麻央(木下アカデミー)は今季自己ベストとなる145・76点をマークし、合計218・36点で優勝した。日本勢では史上初となる2連覇を達成した。

SP8位の上薗恋奈(LYS)が132・74点で合計194・70点として3位。櫛田育良(木下アカデミー)が114・36点で合計180・97点として5位となった。

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1: 名無しさん@恐縮です 2024/02/15(木) 17:03:41.76 ID:fXSK76H/9
 フィギュア王国からまた1人、期待の若手が現れた。昨年12月の全日本選手権で、大会最年少の上薗恋奈(れな、13)=北名古屋市出身、LYS=が4位に入った。ジュニア1年目の中学1年生ながらショートプログラム(SP)で6位につけ、フリーでは最終グループで堂々と演技。世界ジュニア選手権(28日開幕・台北)にもエントリーされている新星だ。

 原石がキラリと輝いた。全日本選手権独特の緊張感が漂う中、上薗が伸びやかなスケーティングと、度胸あるジャンプ、中学生離れした表現で観客を魅了。SP、フリーともにジャンプを全て降り、GOE(出来栄え点)の減点なしの内容に、「いつもより緊張したが、初めての全日本を楽しもうという気持ちで臨めてたのが一番よかった」とほほ笑んだ。

 「自分の魅力を出せるように」。今季の上薗が特に意識してきたことだった。試合前にジャンプの調子が上がらず、悩んだ時もあったが、樋口美穂子コーチから「自分の魅力を出した方が観客の皆さまに伝わる演技ができるよ」とアドバイスを受けた。
 コーチと作り上げたプログラムには、大人びた表現や、得意のダンスが詰め込まれている。SPではピアノのメロディーに乗せて切ない表情を浮かべ、曲調が変わると、弾ける笑顔で軽やかに踊る。フリーでは重厚感と抜け感を、スケーティングに加えて上半身も使いながら表現。1つのプログラムの中でギャップを出しながら、上薗の魅力を引き出している。
 名スケーターから影響を受けてきた。競技を始めるきっかけとなったのは、毎年1月にある名古屋スケートフェスティバルでのこと。4歳の時、バンクーバー五輪銀メダリストの浅田真央に手を振ってもらったことが忘れられなかった。自身の中で印象に残っているプログラムには、五輪を2連覇した羽生結弦が演じた「バラード第一番」や「SEIMEI」、バンクーバー五輪金メダリストのキム・ヨナ(韓国)による「007」を挙げる。美しいスケーティング、目線や指先の細やかな表現に心引かれた。

 名前に入っている「奈」には、「世の中に大きく示す」という意味があるという。「恋する気持ちなど、素直な気持ちを示してほしい」との思いを込めてつけられた。13歳にして大舞台で存在感を示したが、競技生活ははまだまだ続く。年齢制限の関係で、19歳で迎える2030年の冬季五輪が最初に目指せる五輪となる。キラリと光る原石に、さらに磨きをかけていく。

 ▼上薗恋奈(うえぞの・れな) 2010年6月7日生まれ、愛知県北名古屋市出身の13歳。158センチ。5歳の時からフィギュアスケートに親しみ、7歳からグランプリ東海クラブに所属。山田満知子コーチに師事した後、樋口美穂子コーチが同クラブから独立して立ち上げたLYSに移籍した。小学6年で全日本ノービス選手権A優勝。中学1年の今季はジュニアグランプリファイナルで銅メダルを獲得した。趣味は人気キャラクター「クレヨンしんちゃん」のグッズ集め。
https://www.chunichi.co.jp/article/853496
https://static.chunichi.co.jp/image/article/size1/9/1/7/5/9175e4de6f48724c0770866a9d6bfcab_1.jpg

rena.uezono
https://www.instagram.com/rena.uezono/

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1: 名無しさん@恐縮です 2024/01/21(日) 15:19:12.18 ID:VJHi06op9
フィギュアスケートのロシア・ジャンプ選手権の女子でマルガリータ・バジリュクが見せた〝4回転サルコー〟に、驚きの声が相次いでいる。

 4回転サルコーや4回戦トーループなどを決めて優勝したバジリュクは、演技後に観客の前で4回転サルコー―1回転オイラー―4回転サルコーの連続ジャンプを成功。同国メディア「spors.ru」などの取材には「いつもこの練習をしているわけではない。夕方のトレーニングで2回やった。頭を空っぽにしてやったら上手くいった」と成功の要因を語った。

 バジリュクのジャンプに対し、ロシアフィギュア界の重鎮として知られるタチアナ・タラソワ氏が早速反応。同メディアによると「これはユニークなストーリーだ。このようなことをした世界初の女子選手。12歳でこれをやってのけた」と称賛した上で「問題は14歳から16歳までにそれを失わないことだが、彼女は見事にそれを成し遂げ、今では世界でただ1人の存在となっている」とさらなる活躍に期待を寄せた。

全文はソースで
https://news.yahoo.co.jp/articles/80b5fba05f60d308a0252d0fb1ab8e5b3193f86a

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1: 名無しさん@恐縮です 2024/01/13(土) 02:16:13.54 ID:53hiUAGh9
「成績残した?」本田真凜 全日本最下位でも引退会見に報道陣45社集結で「女優みたい」と困惑の声


「これまで本当に沢山の方に応援していただけて、長い競技生活の中でいい時もそうでない時も、色んな時がありましたけれども、どんな時も寄り添ってくださって幸せな競技生活だったなって思います」

こう語ったのは、フィギュアスケート女子の本田真凜(22)。

1月11日に都内で引退会見を行い、21年間の競技人生に終止符を打った。
純白のパンツスーツ姿で登場した本田の元には、45社の報道陣が駆け付けた。

今後はプロスケーターとして活動していくという本田。
だが会見では、競技以外の話題が目立ってしまったようだ。


引退を決めたタイミングを聞かれ、「大学4年生のタイミングで競技の場から離れるということは、ずっと決めていた」と語った本田。
今年3月に大学卒業を控えており、今後の進路についても関心が高まっていた。


妹でフィギュアスケーターの望結(19)、紗来(16)が芸能活動をしていることから、「引退を機に芸能活動への興味はあるか?」との質問が。
すると本田は「今後もスケートを滑り続けていきたいと思います」としつつも、「もしチャンスがあれば色んなことにも新しく挑戦していきたい」と可能性を示唆していた。


さらには、交際相手であるフィギュアスケート男子の宇野昌磨(26)の話題にも及んだ。

ある記者が「いまも交際は順調ですか?」と問うと、本田は照れながら「は、はい(笑)」と返答。
続けて「引退について宇野さんは何と言っている?」と聞かれると、こう答えていた。

「スケーターは宇野選手に限らず、みなさん小学校の時から一緒に頑張ってきた仲なので、幼なじみのような感覚です。私が今シーズンで最後になることは、仲間たちはみんな知ってくれていて。(中略)最後まで色んな支えがあったからこそ、ここまで自分がスケートを大好きなまま、引退という形までたどり着けたんじゃないかなと思っています」


2歳でスケートを始め、’16年に世界ジュニア選手権を制した本田。
’17年の世界ジュニア選手権でも準優勝し、当時は「ポスト真央ちゃん」との呼び声も高かった。

しかしシニア時代は苦戦を強いられ、違う側面が注目を浴びることに。

「シニア転向後は国内外の大会で表彰台から遠のき、’21年には日本スケート連盟の強化選手からも外れました。右骨盤の故障を抱えて臨んだ昨年12月の全日本選手権では、28人中最下位となってしまいました。結果を出せなかったアスリートのなかには、会見をせずにひっそりと引退する人もいます。

しかし本田さんの会見では100人近くの報道陣が集まり、テレビカメラも14台並びました。そんな本田さんといえば、可愛らしいルックスでアイドル並みの人気を誇っています。Instagramのフォロワーは126万人を超え、昨年7月には韓国の人気ガールズグループ・LE SSERAFIMとコラボしたパフォーマンスが話題に。

妹さんたちと運営するYouTubeチャンネル『本田姉妹やで』には、恋人の宇野さんが登場したことも。お互いの好きなところを言い合うなど、ラブラブぶりは注目を集めました。そうしたことから最近では、アスリートというよりも芸能人のようなイメージが持たれていたのではないでしょうか」(スポーツ紙記者)


ネットでは大仕事を終えた本田に、《華のある選手でしたよね。お疲れ様でした!》《妖精のように可憐で綺麗な演技に魅了されていました》《とても素敵な会見でした》と労いの声が。

だが、シニア時代に十分な結果を出せなかったこともあり、大々的に開かれた引退会見に困惑する声も上がっていた。

《本田真凜ちゃんって引退会見するほど、フィギュアスケートの選手として成績残した?? なんか芸能活動のイメージが強い》

《最下位で引退会見って…》

《女優みたいだな》

《誰でもかれでも引退会見するの? 浅田真央とかあのレベルの選手が会見するのはわかるけど》


https://news.yahoo.co.jp/articles/be49a5c199952d9a1edc335e981d2e15e3baac4d
https://i.imgur.com/5d7cKHo.jpg

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1: 名無しさん@恐縮です 2024/01/11(木) 14:28:30.76 ID:pTynbFT69
https://the-ans.jp/news/383396/
https://the-ans.jp/wp-content/uploads/2024/01/11140624/20240111_Honda_Marin_yt-650x432.jpg
2024.01.11

フィギュアスケートの2016年世界ジュニア選手権女王・本田真凜(JAL)が11日、都内で現役引退会見を開いた。ジュニア時代から頭角を現し、高い表現力で銀盤を彩った22歳。競技者としてのスケート人生にピリオドを打ち、心境や理由を告白した。

本田が競技者として現役最後の舞台に立った。報道陣は45社が大挙。上下白のスーツに身を包んだ本田は、会場に入る際に一礼し、登壇した。無数のフラッシュを浴びながらマイクを握った。「皆さん、こんにちは。本田真凜です。お知らせの通り、今シーズンを持ちまして選手生活を終える決断をしました」と報告。そして、21年の競技人生への感謝を述べた。

「ここまでたくさんの方に応援してくださり、ありがとうございます。今年で21年目になりますが、こんなに頑張ってきたからこそ、たくさんの方に感謝しています。たくさん続けて、頑張ってきたからこそたくさんの方に出会えた。いろんな葛藤に向き合って乗り越えられました。これまでの人生はどんな時を振り返ってもスケートがあります。良い時もそうでない時もありましたが、どんな時も幸せな競技生活だったと思います。本日はよろしくお願いします」

その上で「2歳の頃は引退の発表をしていると想像していなかった。この景色を伝えたら凄くビックリすると思います」と本田。思い出の大会を問われると「2歳で兄が先にやっていて私も始めた。きょうだいで切磋琢磨して京都の大会できょうだい4人で優勝できたのが嬉しかった」と語った。決断のタイミングと理由については「この大学4年のタイミングで競技から離れるのはずっと決めていたこと。最後の全日本選手権の前にも体の状態もありつつ、もしかしたらこれが最後だと思っていた。どうしても頑張りたいと思って走り続けた」と明かした。

 今後については「スケートが大好き。大好きなまま競技を終えられて、多くの方が私の演技を楽しみにしてくださっている以上素敵な演技をお届けしたい。スケートを頑張っていきたいというのはこれまで通り思っているし、チャンスがあれば新しいことにも挑戦していければうれしい」とし、プロスケーターとしてアイスショーなどに出演することを示唆した。

全文はソースをご覧ください

会見:フィギュア・本田真凜選手が引退会見「幸せな競技生活だった」(2024年1月11日)
https://www.youtube.com/watch?v=fevBxxRcz5Y

他記事
https://news.yahoo.co.jp/pages/20240111

【フィギュア・本田真凜が引退会見 「幸せな競技生活だった」 決断の理由は「大学4年で離れることは決めていた」今後はプロ転向へ】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2024/01/05(金) 17:35:17.24 ID:S45WfXTW9
2024.01.05(Fri)

 フィギュアスケート女子で16年世界ジュニア女王の本田真凜(22)=JAL=が、今シーズンを持って競技から引退することが分かった。マネジメント会社が5日、発表した。

 所属のヒーローズマネジメント株式会社は「本田真凜は、今シーズンをもって、フィギュアスケート競技から現役を引退します」と伝え、11日に発表記者会見を行うことも報告した。

 本田はジュニア時代に頭角を現し、16年世界ジュニア選手権で金メダルを獲得し、一躍注目を集めた。翌17年の同大会では18年平昌五輪で金メダルを獲得するザギトワ(ロシア)に次ぐ銀メダル。シニア転向以降は伸び悩んだ面はあったが、全日本選手権は9年連続で切符を獲得。右骨盤の故障を抱えて臨んだ昨年12月の全日本ではSP最下位の28位に終わり、2年連続でフリー進出を逃したが「すっきりした気持ち。悔いも何一つない。ここまでたくさんスケートを頑張ってきた。その自分を今はゆっくり褒めてあげたい」と話していた。

 ◇本田真凜(ほんだ・まりん)2001年8月21日、京都市出身。5人きょうだいの3番目として生まれ、2歳でスケートを始めた。16年の世界ジュニア選手権で初出場初優勝、17年同大会は銀メダルを獲得した。16年全日本選手権はシニア勢に食い込み4位。今夏の「ワンピース・オン・アイス」ではネフェルタリ・ビビ役を務めた。世界王者の宇野昌磨と交際中。趣味はカメラ。161センチ。

https://www.daily.co.jp/general/2024/01/05/0017196147.shtml

1: 名無しさん@恐縮です 2023/12/30(土) 12:40:47.05 ID:68lK8LZU9
女性自身 12/30(土) 6:00

「グローブが届きました!」
2023年も終わりを迎えようとするなか、全国各地から続々と喜びの声が上がっている。大谷翔平選手(29)によって寄贈されたグローブが到着し始めたのだ。

大谷は今年11月に、日本のすべての小学校に対して3個ずつ、計6万個のグローブを寄贈することを発表。この試みに対しては国内だけでなく、海外からも称賛の声が寄せられていた。

日本だけでなく、世界のスターとなった大谷。12月10日にはロサンゼルス・ドジャーズへの移籍を発表。メジャーリーグ史上最高額となる10年総額7億ドル、日本円にすると約1015億円という超大型契約が、大谷の価値を表しているだろう。そのうえ、「チームがより強くなるため」と契約額の97%を、契約満了後の10年間に無利子で受け取ることを提案。何よりもチームの”勝利”を優先する姿勢は、多くの人の心を打った。

また、入団にあたり、ジョー・ケリー投手から背番号「17」を譲ってもらうと、ケリー投手の妻のアシュリーさんに2000万円を超える高級車ポルシェをプレゼント。こちらも粋な対応だとして大きな話題に。

■スピード離婚をきっかけに大きくイメージダウンした羽生

このように連日、“スターぶり”が報道される大谷。その裏で、評判を落としている“同い年”がーー。プロフィギュアスケーターの羽生結弦(29)だ。

羽生は今年8月4日の深夜、SNS上で突如結婚を報告。文書のなかでは、年齢から有名人か一般人なのかはおろか性別まで、ありとあらゆる結婚相手の素性が伏せられていたことが、世間には驚きを持って受け止められた。

しかし、その105日後の11月17日深夜、羽生はいきなり離婚を発表。離婚の理由として、羽生は《誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材や報道》があったとし、《お相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難い》とコメントしていた。

離婚発表直後は、羽生への同情の声が相次いだ。しかし、元妻の実名を報じた地方新聞社の担当者がメディアの取材に対し、「都合のいいときだけメディアを使い、都合が悪ければメディアのせいにする。これはいかがなものか」と猛反論。

さらに羽生の祖母が「週刊現代」の取材に対し「(羽生の)結婚にしても、何も聞かされなかった。有名になると、話せないこともあるんでしょう」「ゆづは叩かれて当然だと思います。こんなスピード離婚なんてないですよ」と苦言を呈すと、風向きが変わることに。そもそも“隠し通すという方針があまりに強引だったのではないか”という指摘や、“妻を守りたいのが本心なら離婚は尚早ではないか”という声も上がり始めるようになったのだ。

さらに12月26日の「文春オンライン」で、元妻のバイオリニストとしての活動を長年支援してきたという後見人が、羽生の離婚発表のコメントについて「『相手を守った』って、それは全部、嘘ですよ」と実名を出して憤りを告白する事態に。

すると、同日羽生はInstagramで《10代の頃からずっと、嘘や妄想や、出会ったことすらない関係者さんの話で記事が出ますが…面白いですね ありたっけの体力と精神と技術と、自分を、スケートに込めていきます》とかかれた直筆メッセージの写真をアップ。写真の端には、ぐしゃぐしゃに丸められた紙の玉も写っていた。しかしこの怒り投稿に対しても、“離婚する前に、妻を守るためにこういうことを言えばよかったのに”といった声があがるなど、冷ややかに受け止める人も多いようだ。

これまで批判的な声を浴びることはほとんどなかった羽生。今回のスピード離婚は、思った以上にイメージをさげているようだ。

「羽生・大谷世代」と呼ばれる、’94年を代表するアスリートの二人。来年には30歳を迎えることとなるが、どのような日々を歩んでいくのだろうかーー。

https://approach.yahoo.co.jp/r/QUyHCH?src=https://news.yahoo.co.jp/articles/4947c7f1f68b20bdb98c87f34141a8a2eb932cef&preview=auto

【大谷翔平が“世界的スター化”の裏で…同い年羽生結弦は“105日離婚”でイメージ暴落の明暗】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2023/12/05(火) 17:47:33.44 ID:xbOqYviF9
 11月17日に突如、離婚を発表したプロフィギュアスケーターの羽生結弦(28)。結婚発表からわずか105日というスピードに世間は衝撃を受け、今もなお余波が続く。彼は離婚の原因にファンやメディアを挙げたが、果たして本当にその通りだったのか。

 ***
 羽生は離婚の原因について自身のSNSで、誹謗中傷やストーカー行為、許可のない取材と報道を挙げ、〈現状のままお相手と私自身を守り続けることは極めて難しく、耐え難いものでした〉とつづっている。

「五輪で2連覇を果たし国民栄誉賞まで授かった羽生さんには、それまであらゆる批判がタブーとされてきました。しかし、今回の離婚を機に、いくらなんでも3カ月で別れた原因を他人のせいだけにするのは違うのではないか、という声が多く聞かれるようになりました」(スポーツ紙記者)

 8月4日の結婚発表時、羽生は妻だった末延麻裕子さん(36)に関して実名はもちろんのこと、一切の来歴を明かさなかった。

「9月19日に麻裕子さんの出身地である山口県の地元紙『日刊新周南』が、初めて彼女の実名を報じました。以降、ようやくわれわれは彼女について知ることになったのです。徹底した報道規制が敷かれた背景には、現役時代から常に羽生さんに帯同し続けた母親や、広報を務める姉の存在があったとみられています」(同)

 山口県に所縁(ゆかり)のあるジャーナリストによれば、

「『日刊新周南』は麻裕子さん本人に聞いてOKを得られたので、実名を出しての報道に至ったそうです。彼女自身は決してメディアに報じられることを嫌がっていたわけではなかったと」

 やはり、麻裕子さんが姿を現してこなかったのは、情報管制に神経を尖らす“チーム羽生家”の特殊な事情によるものなのか。

全文 デイリー新潮
https://news.yahoo.co.jp/articles/2da1a3215b2822c6480c29a611ba23654f4fdd95

【羽生結弦の元妻は「実名報道にOKを出していた」 報道規制の背景に「母と姉の存在が」】の続きを読む

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