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グレート・ムタ

1: 名無しさん@恐縮です 2022/09/03(土) 22:46:31.34 ID:CAP_USER9
<プロレスリング・ノア:大阪大会>◇3日◇エディオンアリーナ大阪

来春での引退を表明している武藤敬司(59)が代理人を務めるグレート・ムタが、大阪の地に敵味方なしの大魔界を作り上げた。

32年前の1990年9月にサムライ・シロー(越中詩郎)戦で、日本初登場を果たした大阪。その思い出の地でのファイナルマッチは、
新日本プロレスのグレート・O・カーンと「魔界・帝国同盟」を結び、NOSAWA論外を加えたトリオで、反骨集団「金剛」(拳王、征矢、
タダスケ)と対戦した。

青と紫を基調としたコスチュームでスモークをたっぷりにまとって登場すると、会場はこの日一番の拍手に包まれた。試合は、
先発したO・カーンからタッチを受けて、リングインを果たすと、天に向かって緑の毒霧を3度噴射するムタ流の“ごあいさつ”からスタート。
そして、征矢とグラウンドの攻防を演じた。

中盤には、試合そっちのけでリングサイドを徘徊(はいかい)し始めると、リング下を物色。最前列のファンを威嚇して小型の扇風機を奪うと、
涼しそうに風を浴びる傍若無人ぶりを披露した。

やりたい放題のムタは止まらない。O・カーンがタダスケの頭を舌でなめているのを見ると、たまらずに乱入し、なぜか味方のO・カーンの
頭をガブリ。その後は、場外のケーブルでタダスケを絞首刑に処すなど、暴れまわった。

最後は拳王の背後から火炎攻撃を浴びせると、征矢に赤い毒霧を噴射。タダスケに閃光(せんこう)魔術を決めると、最後は23分13秒、
味方のO・カーンがタダスケをエリミネーターで仕留めた。

しかし、魔界ワールドの極め付きはラストだった。勝ち名乗りを受けているO・カーンの背後から登場したムタは、同盟を結んだはずの
相手になぜか緑色の毒霧を噴射。パニックに陥った帝国の支配者を尻目に花道を引き揚げると、首切りポーズで、O・カーンにも大阪
のファンにも「さよなら」を告げた。

ムタの代理人の武藤は、来年1月22日の横浜大会(神奈川・横浜アリーナ)を最後に、魔界の扉が閉ざされることを表明している。
アメリカ生まれの悪魔忍者が、魔界に帰る日が近づいてきた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/b0004b52a8e0c027c3690d0468a884e2c2bbec41

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1: 名無しさん@恐縮です 2022/06/21(火) 23:02:57.89 ID:CAP_USER9
「かつて『プロレスとはゴールのないマラソン』と言った自分ですが、ゴールすることに決めました。来年の春までには引退します!」

6月12日、さいたまスーパーアリーナで行われたプロレス4団体合同イベント「サイバーファイトフェスティバル2022」のリング上から、武藤敬司が2023年春までに引退することを発表した。


(中略)

グレート・ムタを押し上げた「馳浩との大流血戦」


武藤が群雄割拠のあの時代に特別な存在となったのは、個人としてもう一つ“別の顔”を持つようになったことも大きい。
アメリカ遠征時代の忍者スタイルのキャラクター「グレート・ムタ」を逆輸入したのだ。

「最初に『グレート・ムタで試合してくれ』って言われたときは、それこそ『こんなもん、日本のファンは受け入れないだろう』と思ったんだよ。顔にペイントして、毒霧吹いたりしてさ。ただ、やるからには、何か新しいことをやらなきゃいけないって考えたよな」


じつはアメリカでの「ムタ」と日本の「武藤」は、見た目や毒霧という違いはあったものの試合スタイルそのものの違いはほとんどなかった。
しかし、日本で「ムタ」と「武藤」を別人格として使うなら、スタイルを分ける必要がある。
そこで日本でのムタは、凶器を使い反則御構いなしの“悪の化身”としてヒールを前面に出したのだ。

「ムタで出た2試合目で、馳浩と大流血戦をやってね(90年9月14日、広島サンプラザ)。あれが地上波のテレビで流れたインパクトの大きさで、グレート・ムタのステータスが一気に上がったよな」


これを機に「武藤」として以上に「ムタ」としてもブレイク。
普段の試合では素顔の武藤として出場し、東京ドームなどビッグマッチはムタとして出場することが多くなった。

ムタは新日本の興行的な切り札にまでなったのだ。
ただし、ムタには武藤にはない苦労もあったという。


「ムタをやってよかった」と語る理由

「ムタは毎回、大会場で凝った入場をしてたんだよ。あれは選手からするとすごく大変。横浜アリーナの時は、“忍者”ってことで天井から吊るされて降りてくる入場をしたんだけど、あんなの何試合も前から天井裏で体に命綱巻かれながら待機しなきゃいけないんだから(笑)。試合前って緊張するのにトイレにも行けないし、ウォーミングアップもできない。あれは本当に大変だったよ」


それでも「ムタをやってよかった」と武藤は言う。

「武藤とムタ、二つのキャラクターを演じることで、俺のレスラーとしての幅を広げさせてもらったからね。それに福岡ドーム大会では猪木さんや、ハルク・ホーガンといった超大物ともやらせてもらった。あの二人とシングルで試合できたことは、今となってはすごい財産ですよ」


高田延彦戦は「レスラー人生のピークだったかもしれない」

こうして新日本のトップスターとなった武藤は、95年10月9日東京ドームでの「新日本プロレスvsUWFインターナショナル全面対抗戦」の大将戦で高田延彦と対戦。
武藤はドラゴンスクリューからの足4の字固めという、伝統的なプロレス技でUWFのトップである高田を破り、名実ともにプロレス界の頂点に立ったのだ。

「これまでのキャリアを振り返って最も印象に残ってる試合は、やっぱり高田延彦戦だよな。あの試合が俺のステータスを大きく上げてくれたし、あれがレスラー人生のピークだったかもしれない。あの試合があったからこそ、今の俺があるんだよ。あの高田戦こそ、平成30年間のプロレス界で、最も大きな影響を与えた試合じゃないかな。そういうプロレス史に残る“作品”が残せたっていうことは、レスラー冥利に尽きますよ」


現在、日本のプロレスは多種多様な団体が活動している。しかし、そこに昭和の影はどこにもない。
どこも武藤が持ち込んだ明るさに満ちている。

そして業界最大手の新日本をここ10数年にわたり盛り上げた立役者である棚橋弘至は、武藤敬司から大きな影響を受けたことを公言している。
武藤敬司こそが、猪木の呪縛を払拭し、現在に続く華やかでエンターテインメント性の高いプロレスを作り上げた張本人なのだ。


そんな武藤敬司のラストマッチは来春、大会場で予定されている(対戦相手未定)。

7月16日のプロレスリング・ノア日本武道館大会から引退ロード「ファイナルカウントダウンシリーズ」がスタートし、来年1月22日には横浜アリーナで「グレート・ムタ ファイナル」も開催。

現代プロレスを作り上げた天才のラストラン、しかと見届けよう。


https://news.yahoo.co.jp/articles/435d1eb0193abb3d6dac3cc6d4a1385b2b4ae3a8?page=3
https://i.imgur.com/N6Ct4e7.jpg

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