SPORTS FIELD

さまざまなジャンルのスポーツニュースを取り上げた 5ちゃんねるまとめブログです。

ペレ

1: 名無しさん@恐縮です 2022/12/30(金) 13:46:18.92 ID:uPWPFZ+i9
12月29日に82歳で死去した、サッカーの元ブラジル代表で世界的名選手だったペレさんは、
男性機能を低下させるED(勃起不全)の早期診断の必要性を訴える啓発大使も務め、来日して呼びかけたこともあった。

パイプカット(男性の不妊処置)のエピソードもあるペレさんは、ED治療剤「バイアグラ」を開発した米ファイザー製薬に「ED啓発大使」として起用された。
日本と韓国でW杯が開催された2002年には来日して記者会見を行ったことも。
バイアグラのCMにも出演して話題を呼んだ。
1977年に引退したペレさんは、国連児童基金(ユニセフ)大使やブラジルのスポーツ大臣などを務め、社会活動に携わった。

スポーツビジネスが現在ほど活発でなかった当時、「ペプシコーラ」や「プーマ」「マスターカード」など、さまざまなブランドの広告塔を務めるなど、ピッチ外でも時代の先端をいったレジェンドだった。

12/30(金) 11:21
https://news.yahoo.co.jp/articles/1e3e1571896f408f166e6e610c6fbf6c72a0c5b3

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1: 名無しさん@恐縮です 2022/12/30(金) 08:34:18.57 ID:I22nXIIa9
日刊スポーツ2022年12月30日7時25分
https://www.nikkansports.com/soccer/world/news/202212300000027.html

サッカーの元ブラジル代表で、母国をFIFAワールドカップ(W杯)で3度の優勝に導いた「王様」ペレさんが29日、サンパウロ市内の病院で亡くなった。82歳。悲報を受け、直近の22年W杯カタール大会で自身初優勝したアルゼンチンのFWリオネル・メッシ(35=パリサンジェルマン)が追悼した。

インスタグラムにペレさんと並んだ写真を投稿し「安らかにお眠りください、ペレさん」と添えた。

ペレさんも、W杯決勝が行われた今月18日にインスタグラムでアルゼンチンとメッシを祝福。2年前に死去した同国の英雄ディエゴ・マラドーナ氏の名を挙げて「アルゼンチンおめでとう。ディエゴも笑顔のはずだ」。そしてメッシに対し「サッカーは今日も変わらぬ情熱で物語を紡いだ。メッシは、その軌跡にふさわしく初のW杯優勝を果たした」と称賛していた。

ブラジルの「10番」を受け継ぐFWネイマールもSNSで「『ペレ以前』は、サッカーは単なるスポーツだった。しかし、彼が全てを変えた。サッカーを芸術やエンターテインメントに変えた。貧しい人や黒人に声を与えた。何よりブラジルに知名度をもたらした。サッカーとブラジルの地位はキングのおかげで向上した。亡くなっても彼の魔法は残り続ける。ペレは永遠だ!」などとつづった。

18年W杯ロシア大会でペレさんの58年スウェーデン大会以来60年ぶりの「決勝10代ゴール」を達成して優勝し、今回22年カタール大会では準優勝も8ゴールで得点王に輝いたフランス代表FWエムバペも「サッカーの王様は僕たちの元から去ったけれど、彼が残したものは決して忘れ去られることはないだろう。どうか安らかに」とツイートし、レジェンドを悼んだ。

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1: 名無しさん@恐縮です 2022/12/30(金) 09:57:11.00 ID:KYQuulzb9
ブラジルを3度のワールドカップ優勝に導いた「サッカーの王様」ペレさんが29日、亡くなった。享年82歳。
家族が発表した。がんの闘病中で、昨年9月に大腸腫瘍の手術を受けたが、その後も入退院を繰り返していた。
今年11月に体調悪化に伴い、再度入院したと伝えられていた。

17歳で鮮烈のW杯デビュー
サッカーの王様と称されるペレさんは15歳で入団したブラジルのサントスで頭角を現し、
17歳のときに出場した1958年のワールドカップで6ゴールを決めてブラジルの初優勝の貢献。
一躍、世界的なスターの仲間入りを果たした。
その後も1970年まで4大会連続で出場し、62年、70年大会でも優勝を飾っている。

とくに70年大会では史上最高の言われたブラジル代表のエースとして活躍し、4ゴールも記録。
背番号10がサッカーにおけるエースナンバーとなったのは、ペレさんが背負っていた番号だったからと言われる。

1956年、15歳のときにサントスでデビューし、16歳でブラジル代表デビューを飾るなど、若くしてその才能を発揮したペレさんは、
18年間、そのサントスでプレーしたのち、1974年から1977年までニューヨークコスモス(アメリカ)で活躍。
77年に現役を引退するまでに生涯通算1363試合に出場し、1281得点を記録したとされる。
日本とも縁が深く、サントス時代に来日して日本代表と試合を行ったほか、
1977年には世界各国で開催された引退試合『ペレ・サヨナラゲーム・イン・ジャパン』も行われ、
『現役』最後の雄姿を披露。また、釜本邦茂さんの引退記念試合にも参加するなど、たびたび日本のピッチでユニフォーム姿を披露している。

先ごろ、閉幕したカタールW杯でもブラジル代表の選手たちが入院中のペレさんにメッセージを送っていたが、ブラジル代表の選手たちのみならず、ブラジル国民、世界中の選手とサッカーファンがその死を悼んでいる。 ブラジル代表の10番、ネイマールは訃報に接し、「サッカーとブラジルは王様のおかげで地位を確立できた。ペレさんは永遠です」とメッセージを発信している。

【プロフィール】 PELE(ペレ)◎1940年10月23日生まれ、
ブラジル・ミナスジェライス州出身。
本名はエドソン・アランテス・ド・ナシメント。

現役時代は171㎝、73㎏。
ポジションはFW、攻撃的MF。

所属クラブはバング―(1954ー56)、サントス(1956-74)、ニューヨークコスモス(1974-77)。

ブラジル代表デビュー:1957年7月7日のアルゼンチン戦。
代表出場数:92試合77得点W杯成績:1958年優勝(4試合6得点)、1962年優勝(2試合1得点)、1966年GS敗退(2試合1得点)、1970年優勝(6試合4得点)。

https://i.imgur.com/fWfcw6g.jpg

12/30(金) 8:16配信
https://news.yahoo.co.jp/articles/39b967b347a563af11c475e6853091da7d7800df

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2022/12/30(金) 04:25
https://hayabusa9.5ch.net/test/read.cgi/mnewsplus/1672341952/

【「サッカーの王様」ペレさんが死去。ブラジルを3度のW杯優勝に導いた立役者】の続きを読む

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