SPORTS FIELD

さまざまなジャンルのスポーツニュースを取り上げた 5ちゃんねるまとめブログです。

引退

1: 名無しさん@恐縮です 2023/05/24(水) 18:18:20.91 ID:9se0d3Qe9
2023-05-24 18:00ORICON NEWS

 モデルでプロレスラーの赤井沙希(36)が24日、都内で会見を開催。11月12日のDDTプロレス両国国技館大会でプロレスを引退することを発表した。

 父は俳優で元プロボクサーの赤井英和。芸能・モデル活動と並行して、2013年8月の両国国技館大会でプロレスデビュー。
2014年には初挑戦のドラマティック総選挙で6位入賞を果たし、結果発表の際は歓喜の涙を流した。東京スポーツ新聞社制定『プロレス大賞』新人賞も女子レスラーとして初受賞の快挙を成し遂げた。

 2016年のドラマティック総選挙では個人9位に入賞し、高木三四郎にDDT所属を懇願。これが認められ、晴れて正式所属となった。
現在は坂口征夫、岡谷英樹とのユニット・Eruptionで活動中。DDT所属選手の中の紅一点として男子レスラーに負けず劣らずの激闘を繰り広げている。
タイトル歴はKO-D6人タッグ王座、プリンセスタッグ王座、アイアンマンヘビーメタル級王座。

      ===== 後略 =====
全文は下記URLで

https://www.oricon.co.jp/news/2280104/full/

(最終更新:2023-05-24 18:15)

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/05/04(木) 05:48:27.49 ID:wQpwxhef9
トーチュウ2023年5月4日 04時00分
https://www.chunichi.co.jp/article/683848?rct=sumo

逸ノ城が引退へ―。大相撲夏場所で2場所ぶりの幕内復帰を決めた逸ノ城(30)=モンゴル出身、湊=が、4日にも日本相撲協会に引退届を提出する。3月の春場所は14勝1敗で十両優勝を飾ったが、持病の腰痛で稽古ができない状況が続き、電撃引退となった。

モンゴルの怪物が現役生活に突然の終止符を打つこととなった。春場所千秋楽の翌日に大阪から帰京。埼玉県川口市の湊部屋近くの自宅から悪化した腰の治療に通っていたが、5月になっても部屋に来ることができず、稽古ができない状態が続いていた。関係者によると、夏場所の番付発表が行われた2日に今後についての話し合いが持たれ、逸ノ城から現役続行は困難であることが伝えられた。

師匠の湊親方(元幕内湊富士)らは逸ノ城に対し、まだ相撲を取ることはできるのではないかと何度も慰留したが、逸ノ城の意志は変わらなかった。逸ノ城の両親も引退の意向を聞かされているという。

2020、21年に協会が定める新型コロナウイルスのガイドラインに違反して外出。昨年12月26日の理事会で1場所の出場停止処分を受け、初場所を休場。十両転落が決まった。理事会の当日が前もって予定していた腰の手術と重なったため、手術を2月に延期して再起をかけた春場所。ほとんど稽古ができず、ぶっつけ本番で臨みながらも朝乃山との接戦を制し、十両優勝を果たした。昨年の名古屋場所は12勝3敗で初の幕内優勝。幕内復帰を果たした今場所も活躍が期待されていた。

初土俵から5場所目にザンバラ髪で新入幕を果たした14年秋場所は1横綱、2大関を破り優勝次点の13勝2敗。大旋風を巻き起こした。将来は横綱もと期待されたが、体重増加もあってその後は長く腰痛に悩まされた。

歩くことすらままならず、横になれずに座りながら寝ることもあった。そんなときでも「やめたいと思ったことはない」と話していたが、4月に30歳となり、気力を保つのが難しくなったのかもしれない。21年9月に日本国籍を取得しているが、今後は協会に残らないという。

▼逸ノ城駿(いちのじょう・たかし=本名は三浦駿) 1993年4月7日生まれ、モンゴル・アルハンガイ出身の30歳。191センチ、219キロ。母校・鳥取城北高のコーチだった2013年9月の全日本実業団選手権で優勝。湊部屋へ入門し、14年初場所に幕下15枚目格付け出しで初土俵。新入幕を果たした同年秋場所で13勝を挙げ、九州場所は新関脇に昇進。腰痛などで一時は十両に落ちたが20年秋場所で幕内に復帰。新型コロナウイルス感染で全休した翌場所の22年名古屋場所に12勝3敗で初優勝。23年初場所は新型コロナに関する日本相撲協会のガイドライン違反で出場停止。十両に陥落した春場所は十両優勝し、夏場所は幕内に復帰した。

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/05/01(月) 17:39:21.35 ID:HA/Agowk9
※TBSテレビ
2023年5月1日(月) 17:00

フィギュアスケート・アイスダンスの“かなだい”こと村元哉中(30、関大KFSC)・高橋大輔(37、関大KFSC)組が1日、インスタグラムで今シーズン限りでの引退を発表した。

2人はチームのアカウントに並んでコメントする動画を投稿。高橋が「今回皆様にご報告したいことがあります。今後の進退について色んな方に聞かれることがたくさんあったんですけれども、なかなか発表するタイミングを探していたところ、今このタイミングで発表しようかなということで、まずこのチームアカウントで皆様にご報告出来たらなと思っております。今シーズンをもって競技生活から引退することを決断いたしました」と報告。村元は「2人で色々話し合って決めたこと」と話した。

2020ー21年シーズンからカップルを組む2人は、昨年の全日本選手権で初優勝。今年3月に行われた世界選手権では日本勢過去最高(2018年村元/クリス・リード組)に並ぶ、11位となった。

続きは↓
https://newsdig.tbs.co.jp/articles/-/465266?display=1

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/04/10(月) 22:22:14.48 ID:zI5Y82zt9
 女子W杯ドイツ大会優勝メンバーの元なでしこジャパンMF阪口夢穂(35)が10日までに、自身のツイッターで引退を発表した。昨季まで所属していたWEリーグ大宮関係者が、本人のツイッターと認めた。

 阪口は「みなさまお久しぶりです! 世界1周の旅からやっと帰ってきました!(ウソです)ピッチから離れてしばらく経ちましたが、今日からプロサッカー選手という肩書きは返上することにしまーす。これからは人間・阪口夢穂として精進いたしますので、どうぞよろしくお願いしまーす!」と発信した。

 阪口は大阪・堺市生まれ。なでしこリーグでは新潟や日テレ・ベレーザなどでプレー。WEリーグが発足した昨季は大宮でプレーした。

 日本代表では06年に初招集され、W杯は07年ドイツ大会から19年フランス大会まで4大会連続で出場。11年のドイツ大会では、全試合で澤穂希さんとともにボランチで先発。ゴールデン・コンビで優勝に導いた。また12年のロンドン五輪では準決勝のフランス戦でゴールを決めるなど、銀メダル獲得に貢献した。

https://news.yahoo.co.jp/articles/19b3f26ef2b00470b5b1dd825e3289acc97d7454

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/03/29(水) 08:35:57.40 ID:+b7h0R3t9
https://www.arabnews.jp/wp-content/uploads/2023/03/063_579381200-1024x665-1.jpg
村田は、現役を終えた今「良いロールモデル」になりたいと語った。(AFP)

日本のボクシングチャンピオン村田がグローブを置く
https://www.arabnews.jp/article/features/article_88466/

東京:ボクシング元世界王者でオリンピック金メダリストの村田諒太が28日に引退を発表した。村田は、昨年カザフスタンのスター、ゲンナジー・ゴロフキンに敗れた後、これ以上ボクシングに求めるものがなくなったと語った。

村田は2012年のロンドンオリンピックで日本人初のミドル級金メダリストとなった。さらに5年後にはプロに転向し、同階級でWBA世界タイトルを獲得した。

彼は昨年 4 月に東京の北、埼玉県でゴロフキンと戦い再び世界的な注目を集めた。その試合で村田は、「GGG」として知られる男に第 9 ラウンドで捕まるまで力強いパフォーマンスを見せた。

村田は、東京で記者団に対し「ゴロフキン戦が最後になるだろうと、いつも思っていた」と語った。

「その後は、これ以上ボクシングに求めるものが見つからなかった」。現地メディアが37歳の村田のコメントを伝えた。

村田は、プロ戦績16勝3敗13KOで引退する。

ロンドン五輪でブラジルのエスキバ・ファルカンを破って金メダルを獲得し、1964年以来初の五輪ボクシング日本人チャンピオンとなった後、母国で大スターとなった。

その謙虚かつ気さくな性格で、彼はリング内外に多くの交友関係を築いたが、ゴロフキンは試合後に敬意の印として村田にリングガウンを贈っている。

村田は、現役を終えた今「良いロールモデル」になりたいと語った。

「アスリートなら分かると思うが、夢が叶ってしまうと熱意は失われるものだ」「これから自分自身キャリアを積み重ね、競技だけが人生ではないこと示していきたい」。彼はこう語った。

AP通信

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/02/28(火) 00:05:59.36 ID:ILvp0Yrn9
わずか5日でサウジアラビアのアル・ジャバラインを退団したことが話題になっていたジョーだが、ブラジル『ラジオ365』のインタビューで引退を明言した。

「僕は20年以上サッカーに捧げてきた。全てのクラブに感謝している」

「このインタビューで直接伝えたいことは、今の時点でジョーはプロサッカーのキャリアを終わらせ、プライベートな生活でも、もちろんサッカーの世界でも継続して行くことを伝えたい」

「サッカーは僕にとって多くの扉を開き、多くの人と出会った場所でもある。今はピッチの外でサッカーに関わりたい」

プロキャリアを終えるとしたジョー。同じインタビューでは、アル・ジャバラインをわずか5日で退団した理由も語った。

「現地に到着してみたら、クラブはプロの選手を迎えるに十分な体制が整備されていなかった。アラブの街で、とても閉鎖的だった」

「社長と話をし、契約を解除して戻ってきた。8日ほど滞在したかな」

そして今後についても言及。「これまで経験してきたことを考えると、実業家の道を辿ることになると思う」とコメント。マネジメントなどを含めてサッカー界に携わるとした。

コリンチャンスでキャリアをスタートさせたジョーは、CSKAモスクワへと移籍しヨーロッパのキャリアをスタート。その後、マンチェスター・シティ、エバートン、ガラタサライでプレー。2011年7月にインテルナシオナウへと移籍し母国へと戻る。

アトレチコ・ミネイロへの移籍を経て、UAEのアル・シャバブへと完全移籍すると、当時爆買いで一世を風靡した中国の江蘇蘇寧へと移籍。その後、コリンチャンスへと戻ると、2018年1月に名古屋へと加入する。

名古屋ではJリーグ1年目に24ゴールを記録し得点王に。チームのJ1残留に大きく貢献すると、2019年はケガの影響もあり6ゴールに終わることに。その後、コロナ禍になったことを受け、チームに無断で帰国。
その後、名古屋との契約があるにも関わらずコリンチャンスと契約。国際サッカー連盟(FIFA)の紛争解決室に委ねられる事態に発展。名古屋への賠償金支払いが命じられることとなった。

そのジョーはコリンチャンスの後にセアラーへと移籍。2023年1月25日にアル・ジャバラインへと加入したが、5日後の30日に契約を解除していた。

キャリアを通じてはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAで196試合53ゴール22アシスト、J1で65試合30ゴール12アシスト、プレミアリーグで48試合6ゴール6アシストなどを記録。公式戦通算574試合で188ゴール66アシストを記録していた。

また、ブラジル代表としても20試合に出場し5ゴールを記録。2008年の北京オリンピックにも出場し、6試合で2ゴールを記録していた。
https://web.ultra-soccer.jp/news/ampview?news_no=438290
https://web.ultra-soccer.jp/image/image?image_id=302030

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/02/21(火) 20:57:02.93 ID:AStP+gFM9
東スポ2023年2月21日 20:24
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/254691

 NOSAWA論外(46)が、ノアの武藤敬司引退興行(21日、東京ドーム)で28年のプロレスラー人生にピリオドを打った。

 ラストマッチでは東京愚連隊の盟友・MAZADAと組み、新日本プロレスの外道、石森太二組と対戦した。

 試合はMAZADAと奇襲をかけてスタート。好連係を繰り出し石森の顔面にMAZADAが低空ドロップキックを打ち込む。

 中盤に外道と対峙した論外は殴り合い、外道クラッチをかわすとラ・マヒストラルを炸裂。だが、石森にスライディングジャーマンを決められ、Bone Lockで捕獲されてしまった。

 すると論外は「来い石森! 刈ってくれ!」と手を広げ石森に〝介錯〟を求める。最後は4分43秒、感極まった表情の石森からブラディークロスを食らい3カウントを献上した。

 1995年12月にPWCでデビューし、DDTの旗揚げに参加。その後メキシコやアメリカマットを席巻し、近年は「ペロス・デル・マール・デ・ハポン」としてGHCジュニアタッグ王座を戴冠するなどノアマットで活躍した。

 現役生活28年間で首、腰、ヒザ、肩、手首に負ったダメージからドクターストップがかかったため、昨年10月に引退すると発表。縁の深い武藤とともに歩んだ引退ロードを終えた。

 試合後「痛え…」とバックステージに現れた論外は「キツくて、もう5分もリングに立てない体だけど、28年間プロレスやってきた中で一番いい試合だったんじゃないかな」と胸を張った。

 その後は時折、言葉を詰まらせながらも「特別な気持ちとかはないけど…本当はやめたくないからこんな感じなっちゃって」と本音を吐露しつつ「今までプロレス界だけじゃない、世間の問題児をいろいろしてくれてありがとうございました」と目に涙を浮かべた。

 最後に論外は「明日から一般人なので、この28年間の俺の人生を自伝『人生ハードコア』を制作しています」と宣伝をし、「これを10巻くらい出したら印税で食べていけると思うので。今から文化人としてやっていくので。ありがとうございました」と深々と頭を下げた。

 一方の石森は「何とも言えない気持ちだよ。20年前に出会ったときはNOSAWA論外を介錯するとは思わなかったけど」と涙。さらに「この時代にNOSAWA論外というプロレスラーがいたことを忘れないでほしい。今日はここまでだ」と口にしバックステージを後にした。

【武藤引退興行・NOSAWA論外が28年のプロレス人生に幕「問題児をいろいろしてくれてありがとうございました」】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2023/02/08(水) 18:22:03.39 ID:YaEXjtgS9
 昨年の武蔵野Sを制し、1月29日の前走・根岸Sで2着だったギルデッドミラー(牝6=松永幹、父オルフェーヴル)は右前第1指骨剥離骨折が判明したため、登録済みのフェブラリーS(19日、東京ダート1600メートル)を回避して引退、繁殖入りが決まった。
8日、シルクホースクラブが発表した。

 当初はこの日、1週前追い切りを予定していたが前日の調教後に右前脚に張りが出たことから獣医師がチェックしたところ判明した、としている。

 幸い軽度ではあるものの全治3カ月の診断となり、現役を退くことになった。

https://www.sponichi.co.jp/gamble/news/2023/02/08/kiji/20230208s00004048212000c.html

【武蔵野S覇者ギルデッドミラー(牝6)、剥離骨折が判明 G1・フェブラリーSを回避して引退、繁殖入り】の続きを読む

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