1: 名無しさん@恐縮です 2023/05/11(木) 00:48:39.90 ID:c6dH6DEd9
 Jリーグは5月15日に開幕から30周年を迎える。30年前の1993年5月15日、V川崎-横浜Mの開幕戦で東京・国立競技場のピッチに立った元日本代表MFの「ミスター・マリノス」木村和司氏(64)が9日までにデイリースポーツのインタビューに応じた。
国産選手として初のプロ契約を交わし、社会人リーグだった日本リーグ時代からサッカー界を支えたレジェンドが、歴史的瞬間を迎えた心境、そしてJリーグの未来へ望む思いなどを語った。

 ◆5万9626人が詰めかけた国立競技場でJリーグは華々しく開幕。そのピッチに34歳のベテランとなった木村氏の姿があった。

 -開幕戦の舞台に立った時の思いは。

 「やっぱりそこに立ちたかったから、あそこまで頑張れた。自分なりにいうか、よくやれたなという感じ。選手寿命もちょっとは延びたね。ミーティングで先発を言われて『よし、やった!』っていう感じだったよ」

 -直前まで出られるか分からなかった。

 「それは分からない。監督が決めることだからね」

 -試合では横浜Mの2得点に絡んだ。

 「決勝点もワシが頭で落として(水沼)貴史が持っていってシュートして。みんな、やっぱり点を取りたかったんだよね。貴史も普通は打たんもん、あそこで」

 -全員の気持ちがすごく出ていた試合。

 「だから本当に(試合が)止まらないもんね。ボールも外に出ないし、面白かったと思うよ。あのピッチに立てるのは、本当に幸せっていうかね」

 ◆木村氏は日本リーグ時代の86年にプロサッカー選手登録制度で「国産プロ1号」となるがチームはアマチュアの状態が続いた。

 「チーム内でアマチュアがいて、プロがいてって、それ自体がおかしかったもんね。アマチュアの選手は別に勝てなくてもっていう。ワシらは勝ってなんぼだったから」

 -プロ選手になってから環境の変化は。

 「サッカーで金がもらえるっていう、そこが一番だったよ」

 -意識の変化は。

 「ライセンスプレーヤーとか呼ばれて、ええことせんといけん、ええことしちゃろうってやっていた。それで調子が悪くなった。プロを意識し過ぎた?そうだね」

 -そうした時代を過ごしただけにリーグのプロ化は大きな喜びだったか。

 「それはうれしかった。やっと認められたっていうかね。そういう感じだったよ」

 ◆85年のメキシコW杯アジア最終予選の韓国戦、木村氏が2点を追う前半に伝説となった直接FKを決めるも敗北。この予選敗退がプロ化の機運が高まるきっかけとなった。

 -W杯にあと一歩が届かなかった流れもプロ化につながった。

 「そういう話してたもんね。選手同士で。プロにならんと絶対にW杯なんか行けんって。韓国に勝てなかった。そういう悔しさはあったよ。早くプロ化しないと絶対に世界には行けないというのをすごく感じたね」

 -Jリーグが開幕し、98年に日本はW杯初出場も果たした。

 「結果的にW杯に出られるようになって、(昨年のW杯で)ドイツとかスペインに勝ってるわけだから。やっぱり作ってよかったよ。それは大正解。もうちょっと早よできとったらワシも左うちわだったのに(笑)」

 -引退後も解説者、監督でJリーグに携わってきた。この30年で日本サッカーのレベルは急速に上がった。

 「世界と戦えるような代表になっていったのは、自分自身もうれしいもん。ドイツとスペインとの試合は興奮したもんね。勝てんじゃろうって思ったけど。大したもんよ」

 -今のJリーグに感じられることは。

 「もっと(ファンを)喜ばせてくれよっていう思いは強いかなぁ。それはちょっと寂しいけどね」

 -そのための今後のJリーグの課題は。

 「(野球の)大谷翔平じゃないけど、スーパースターが出てくればね。やっぱり盛り上がるスポーツっていうのはスーパースターが出てこないと。三笘以上のスターが出てきてほしいよ」

 -三笘以上?

 「三笘以上でしょう。WBCも大谷がいたから盛り上がった。やっぱりスーパースターは必要よ。Jリーグからスーパースターが出てくるっていうのが、理想だよね」
https://www.daily.co.jp/soccer/2023/05/10/0016333665.shtml

【"ミスター・マリノス"木村和司「Jにも大谷翔平のようなスーパースターを」「三笘以上のスターが出てきてほしい」】の続きを読む