1: 名無しさん@恐縮です 2023/02/09(木) 12:10:10.60 ID:iW4678ne9
1日2時間練習で「全国優勝」ホワイト部活の実態
東福岡高校が花園で優勝、藤田監督の指導方法

佐々木 恵美 : フリーライター・エディター

2023/02/09 7:20

2023年1月、全国高校ラグビー大会(通称、花園)で圧倒的な強さで優勝した福岡県の東福岡高校。歴代3位の優勝回数を誇る強豪校を率いる藤田雄一郎監督(50歳)は、「選手たちにありがとうしかない」と喜びをかみしめた。

常勝校と聞けば「連日のハードな練習」「トップダウン型の厳しい指導」「先輩への服従」といった“ブラック部活”をイメージしそうだが、同校は正反対といえる。

1日の練習は長くて2時間、週1日は完全オフで、選手の自主性を尊重。道具の管理やトイレ掃除などの雑用はすべて3年生が担当するなど、独自のスタイルで結果を出している。

「あるショックな出来事を機に自分と部活のあり方を見直した」という藤田さんに、ラグビーにまつわる経験から結果を出す組織論まで聞いた。

https://toyokeizai.net/articles/-/650426
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中学の野球部で抱いた違和感

福岡市で生まれ育ち、元気な‟ガキ大将“タイプだった藤田さん。中学まで野球をしていたが、高校でラグビーを始めたのには2つの理由がある。1つは中学生のとき、テレビで大学ラグビーの早明戦(早稲田大学対明治大学)を見たこと。スクラムを組み全力でぶつかり合う勇姿に「なんだ、このかっこよさは」と魅かれたという。

もう1つは、中学の野球部で抱いた、ちょっとした違和感だ。負けていた試合の最終回の裏、主力4番の藤田少年に打席が回ってきた。監督のサインはバント。しかし、前の打席でヒットを放っていた藤田さんは納得がいかずフルスイング。さよならホームランのはずが、結果はあえなくゲッツー(併殺)。

「指示を無視したと監督からひどく怒られて、しばらく試合に出してもらえませんでした。もちろん僕が悪いけれど、自分の意志で動けないスポーツなんだと実感しました」

藤田さんが東福岡高校に入学した頃、ラグビー部は全国大会に数回出て、1回戦で勝つか負けるかという程度だった。谷崎重幸監督の厳しくも温かい指導によって頭角を現した藤田さんは、2年生からレギュラーになり、全国大会にも出場。卒業後は福岡大学、JR九州でプレイを続け、1998年25歳のとき、保健体育の教諭として母校へ。尊敬する谷崎監督のもとで14年間コーチを務めた。

まずは任されたことを必死にやり、サポートに徹する日々。5年過ぎた頃から将来を見据えて、ノートをつけ出したという。これまで書き溜めた「落書きノート」には、本やテレビ、人との会話などで印象に残ったフレーズが丁寧な字でびっしり書かれている。

監督のバトンを受けたのは2012年度のこと。花園3連覇を果たす決勝の朝、監督に呼ばれて「なんかやらかしたかな」と行ってみると、「来期から監督を代わってほしい」と。予期せぬタイミングと重責に即答できなかったが、数日後に覚悟を決めた。





練習時間を増やしても結果が出ない

しかし、そこから苦難が始まった。監督になってすぐの新人戦は、県大会の決勝で敗退。「谷崎先生が80連勝以上していたのに負けさせてしまって……。早く日本一にならないと監督のスタートラインに立てないと焦りました」。

そこで練習時間を増やし、放課後3~4時間、週末は午前午後とハードな練習を続ける日々。それでも2年は結果が出ることなく負のスパイラルに。「矢印を選手に向けて、ずっとイライラしていました」と振り返る。

そんなある日、思わぬ転機が訪れる。校内で階段を下りていると、少し前にいたラグビー部の主力2人の会話が聞こえてきた。「練習、行きたくないね……」。藤田さんはUターンして、静かにその場を離れ、「自分は何してるんだ。良かれと思って練習を増やしていたけれど、彼らのストレスにしかなってない。自分が変わらなければ」と決意した。

ヒントを求めて本を読みあさり、ラグビーやほかのスポーツ指導者に話を聞いた。そして自らの経験を振り返ったとき、JR九州時代のラグビー留学が鮮やかによみがえったという。


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