SPORTS FIELD

さまざまなジャンルのスポーツニュースを取り上げた 5ちゃんねるまとめブログです。

現役引退

1: 名無しさん@恐縮です 2022/11/14(月) 20:54:04.18 ID:6vTmxApw9
18:35
(最終更新: 18:39)

 広島東洋カープの3連覇に貢献した安部友裕内野手(33)が、現役を引退する意向を固めたことが14日、分かった。
この日までに11球団からの獲得オファーはなく「気持ちの整理がついた。やり切ったので悔いはない。すっきりしています」と明かした。

https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/238059

【「気持ちの整理ついた、悔いはない」カープ・安部が引退決断 】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/11/07(月) 07:38:28.82 ID:aANC58kb9
2022.11.07

著者 : THE ANSWER編集部




BCクラシックはセクレタリアトと比較する声も上がった衝撃V
 米国競馬の祭典ブリーダーズカップ(キーンランド競馬場)のG1クラシック(ダート2000メートル)で圧勝した現役世界最強馬フライトライン(牡4)が現役引退し、来春から種牡馬入りすることが決まったと複数の海外メディアが報じた。

 現役世界ランク1位に君臨するフライトライン。5日に行われたブリーダーズクラシックは2番手から直線入口で先頭に立つと、後続をぶっちぎって2着に8馬身1/4差の圧勝を飾った。
その内容に、伝説の名馬セクレタリアトと比較する声も上がったほど。G1で4連勝を飾って通算6戦6勝。生涯でつけた着差は計71馬身という異次元の強さだったが、このレースを最後に引退が決まった。

 英専門誌「レーシングポスト」によると、来年からレーンズエンドファームで種牡馬入り。種付け料は未定という。父タピット、母フェザード(母の父インディアンチャーリー)の血統。今後は産駒から、さらなる怪物誕生に期待がかかる。

(THE ANSWER編集部)

https://the-ans.jp/news/279033/

【動画】「セクレタリアトだ!」と全米衝撃 フライトラインがBCクラシックで8馬身1/4差圧勝を飾ったレース映像

https://the-ans.jp/news/279033/2/

【現役世界最強馬フライトラインが引退 6戦6勝で生涯71馬身差、BCクラシック衝撃の有終V】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/28(金) 19:09:19.48 ID:6dfoCMUv9
 J2のFC町田ゼルビアは10月28日、元北朝鮮代表FW鄭大世が2022シーズンをもって現役を引退するとこを発表した。
鄭大世はクラブを通し「エゴイストなくせに馬鹿みたいに繊細で感情的な、こんな僕に関心を持ってくれてありがとうございました」とコメントしている。

 現在38歳の鄭大世は2006年から10年まで川崎フロンターレでプレーし、その後はドイツのボーフムやケルン、韓国の水原三星で活躍。15年から清水エスパルスに移籍し、アルビレックス新潟を経て、昨季から町田でプレー。すでに今季のリーグ戦をすべて終え、34試合6ゴールとチームを牽引していたが、28日にクラブから今シーズン限りの現役引退が公表された。

 J1リーグ通算181試合65得点、J2でも130試合46得点と各クラブでストライカーとして躍動。2016年にはJ2得点王に輝き、当時の清水をJ1昇格に導いた。また、北朝鮮代表としても33試合15得点の輝かしい成績を記録している。

 鄭大世のコメントは以下のとおり。

「裏山の鶯の鳴き声で目を覚ます。そんな清々しい朝を迎えてた町田での2年間 最後の最後まで。本当に最後の試合まで苦しかった。これを遅くに書き上げた後に夢で、外されてるのに怒鳴られる夢でうなされ、朝思わず加筆した。現実もそんな日常だった。全て伏線だと言い聞かせ、この”痛みや苦しみ”は自分だけの花を咲かせるためだと愚痴りながらも、食らいついた自分と、周りが思う今の質の差にも薄々気がついてたが 年甲斐もなく、まだできる!とギラついてたけど、変わることはなかった。苦しさは変わらずで、こんな歳でも、悔しくて何度も泣いた。でも喜びは、喉が裂けるほど咆哮したあの頃とは、もう違う。同世代に勇気づけられ、ひと回り下に慰められた。歳の半分以下の選手たちと鎬を削った幼き頃、買ってもらったユニの袖のJリーグのエンブレム 太くなった腕の袖のそれを見るたびに、胸が熱くなった。

 何年も前から、今日が最後かもと毎試合トイレに篭り嗚咽を漏らして泣いてた。酸いも甘いも味わい、綺麗事だと思ってたあの言葉も、今なら素直な気持ちで言える。『みんなのおかげ』 こんな性格じゃなかったらもっといい景色が見えたかも?こんなエゴイストだからここまでこれた?違う。みんなの支えで今がある。後悔や、人としての失敗は数え切れないけど はっきりと言える。これが『ベスト』。砂埃舞う大学都リーグ3部からのし上がった、最高に痛快なサッカー人生。多くをサッカーからもらい、今は心が満たされてる。あの頃想像もできなかった舞台で夢中で走った17年間に、終了の笛を吹き、終止符を打つ。悠然と胸を張ってスパイクを脱ぎます。エゴイストなくせに馬鹿みたいに繊細で感情的な、こんな僕に関心を持ってくれて ありがとうございました」

FOOTBALL ZONE編集部

https://news.yahoo.co.jp/articles/30885049eae7d0ab05cfd1ceba10ea481fb5c9b3

【J2町田、FW鄭大世(38)の今シーズン限りでの現役引退を発表 「夢中で走った17年間に、終了の笛を吹き、終止符を打つ」】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/28(金) 02:14:38.07 ID:6dfoCMUv9
 ヤクルト・宮台康平投手(27)が今季限りで現役を引退することが27日、分かった。
この日までに球団から来季構想外を伝えられ、ユニホームを脱ぐことを決断した。

 宮台は東大史上6人目のプロ野球選手として2017年ドラフト7位で日本ハムに入団。
同1位の清宮とともに注目され、18年8月23日・ソフトバンク戦でプロ初登板した。20年オフに戦力外通告を受けて育成選手契約を打診されたが、断りを入れて自由契約に。
同年の12球団合同トライアウトを受験し、支配下選手登録でヤクルトに加入した。

 移籍2年目の今季は1軍戦2試合に登板して防御率19・29。リーグ連覇に貢献できず悔しい日々を過ごしたが、この日もみやざきフェニックス・リーグの巨人戦で9回から救援登板し、最速149キロを計測するなど1イニングを無失点。諦めない姿勢を示し続けた。

 それでも「自分では納得しています。ここで選手としての区切りをつけることにしました」と決めた。
プロ5年間で1軍通算3試合に登板。0勝0敗、防御率9・00。今後は未定だが、一度野球を離れ違う世界を見たいという思いもあり、第2の人生を歩み始める。

報知新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/7ccf38ef954ce74f235b680919bf53412f8c744d

【「選手としての区切り」ヤクルト・宮台康平が現役引退 東大史上6人目のプロ野球選手】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/28(金) 02:28:58.02 ID:6dfoCMUv9
 日本ハムの杉谷拳士内野手(31)が今季限りで電撃引退することが27日、分かった。14年目の今季は51試合に出場し打率1割6分5厘、3打点、本塁打なしに終わった。シーズン終了後、今後について熟考。新球場でプレーしたいという願望もあったが、自ら区切りをつけることを決断。すでに球団に申し入れ了承された。

 杉谷は帝京高から入団テストを経て08年ドラフト6位で入団。2年目にはイースタン最多を更新する133安打を放った。15年には規定打席には達しなかったものの、打率2割9分5厘。19年5月23日の楽天戦(札幌D)では左右両打席でアーチをかけ、球団OBのセギノールにちなみ「スギノール」と自称し、ファンを喜ばせた。
長年にわたりムードメーカーとして持ち前の明るさを発揮。外野の全ポジションに一、二塁を守れる両打ちのユーティリティー選手として重宝がられた。

 ベルーナDの西武戦では試合前の打撃練習でウグイス嬢からいじられることが恒例となり、オフのバラエティー番組でも野球選手の枠を超え、笑いを提供。全国区で存在感を見せた。一方、練習に真摯(しんし)に取り組む姿勢は後輩から慕われ、ダルビッシュ(パドレス)や中田(巨人)ら先輩にもかわいがられた。

 今後は未定だが、野球へ恩返しするため、留学を含めさまざまな勉強の時間に充てることを考えている。11月5日の侍ジャパン戦(東京D)に出場する見通しで、恩師である侍ジャパン・栗山監督とファンの前に最後の雄姿を見せることになりそうだ。球界を超えファンに愛された杉谷が静かにユニホームを脱ぐ。

報知新聞社

https://news.yahoo.co.jp/articles/fa42bbb46dff0ae3e6ee7b82bf8b9d5688cf1750

【日本ハム・杉谷拳士が電撃引退、すでに球団に申し入れ了承 11月5日の侍ジャパン戦が最後の雄姿に】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/25(火) 15:09:05.86 ID:AKu7a2ZE9
 16年ダービーを制したマカヒキ(牡9歳、栗東・友道)が近日中に競走馬登録を抹消することになった。北海道新ひだか町のレックススタッドで種牡馬入りする。ダービー馬としては異例の9歳まで現役を続け、8月の札幌記念(16着)がラストランになった。

【写真】京都大賞典で5年1カ月ぶりVのマカヒキ

 友道師は「今のうちの厩舎がいいサイクルで回っているのは、マカヒキでダービーを獲らせてもらったことが一番大きいと思います。古馬になってから京都大賞典(21年)しか勝てませんでしたが、何より脚元に全く問題がなかった。その点は本当に偉い馬だなと思います。これが今後は子どもたちに伝わってくれればと思っています」と、懸命に走り続けた愛馬をねぎらった。

 通算28戦6勝(うち海外2戦1勝、重賞は4勝)、総獲得賞金は6億3007万5000円(海外含む)。

https://news.yahoo.co.jp/articles/c5ae1551d83c6593f3b77f77c21fc1dc433326c0

【16年ダービー馬マカヒキが9歳で現役引退 レックススタッドで種牡馬入り】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/18(火) 13:40:52.04 ID:dNvo1LF59
 横浜FCは18日、元日本代表MF中村俊輔(44)が今季限りで現役引退することを発表した。俊輔は既にB級コーチライセンスを取得済み。第2の人生は、指導者としてスタートする。

【写真】2019年11月24日、J1昇格を決め、笑顔を見せる横浜FCのカズと中村

 クラブを通じて「今シーズンをもち現役から退く決断をしました。幼稚園のときにサッカーボールを蹴り始めてから、40年もの月日が経ちました。はじめは、楽しいという思いだけで始めたサッカー。そのサッカーが仕事となり、プロサッカー選手として26年間も過ごすことができました。長いサッカー人生の中で、幾度となく苦悩や挫折がありましたが、いつも誰かが自分のことを支えてくれ、背中を押してくれました。一緒に戦ってくれたチームメート、指導をしてくださった監督・コーチ、ケガの治療やケアをしてくれるドクター・トレーナー、クラブに携わっていただいた方々、そして、いつも熱い応援をしてくださるファン、サポーター、すべての皆様に感謝申し上げます。本当に多くの支えがあったからこそ、これまでサッカー選手として闘い続けることができました。26年間多くのご声援、ご協力をいただき誠にありがとうございました」とコメントした。

 19年7月から横浜FCの一員となった。キャリア初のJ2で同年は、10試合1得点。元日本代表FWカズ(55、三浦知良)らとJ1昇格を経験し、翌年の20年は10試合無得点、昨季の21年は12試合で無得点だった。

 J2降格した今季は、ここまで5試合に出場。無得点ながら、3月13日のリーグ戦第4節・水戸ホーリーホック戦では「27秒後アシスト」で話題を呼んだ。2-2の後半38分から途中出場。ファーストプレーとなった左CKのキッカーを務めると、桐光学園の後輩・FW小川航基(25)のドンピシャのヘディングをお膳立てした。

 プロのキャリアをスタートした横浜M(現横浜)時代には、22歳で史上最年少MVPを獲得。セルティックでは、06-07シーズンの欧州チャンピオンズリーグ(CL)で、名門マンチェスター・ユナイテッド相手に、鮮やかなFKを2本も決めた。名手の元オランダ代表ファン・デル・サールからネットを揺らした。数多くの感動をその左足から、生み出した希代のレフティー。惜しまれながらも、日本のファンタジスタがユニホームを脱ぐ。


 ◆中村俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日、神奈川県横浜市生まれ。横浜ジュニアユース、桐光学園を経て97年に横浜M(現横浜)に入団。02年にセリエAのレッジーナに移籍。05年からはスコットランド1部リーグのセルティックでプレー。その後、スペイン1部リーグのエスパニョールを経て、10年に横浜に復帰。17年から磐田。19年7月から横浜FC。00年と13年にJリーグMVP。日本代表として06年W杯ドイツ大会、10年南アフリカ大会に出場。国際Aマッチ通算98試合24得点。178センチ、71キロ。

https://news.yahoo.co.jp/articles/a931b5ee2f0471cf906e5fbea91fb0f4746d6c3f

【横浜FC、中村俊輔引退を正式発表「幾度となく苦悩や挫折、誰かが自分の背中を押してくれた」】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/10/17(月) 06:25:33.52 ID:CAP_USER9
来季のJ1昇格を決めた横浜FCの元日本代表MF中村俊輔(44)が今季限りで現役を引退することが16日、分かった。日本代表やスコットランド・プレミアリーグのセルティックなどで一時代を築き、
J1でも横浜で史上初となる2度のMVPを獲得。左足の芸術的なFKは、世界的な名手としてその名をとどろかせた。近年は右足首の故障との闘いが続き、熟慮の末、プロ26年の現役生活に終止符を打つ決断を下した。

ついにその時がやってきてしまった。記録にも記憶にも残る希代のレフティー、俊輔が今年限りで現役生活に別れを告げる。

 近年は黄金の左足を支えた軸足の右足首の故障に泣かされ、自身2度目のJ2で迎えたプロ26年目の今季は出場が激減。今年6月には千葉市内の病院で再び手術をした。患部がうむトラブルがありながら、
足の指でタオルをつかむ動作を繰り返すなど必死にリハビリを続けた。ピッチでは貢献できなかったが、その姿勢は間違いなく、チームの支えとなった。

語り尽くせないほどの栄光に満ちたキャリアだった。桐光学園(神奈川)で出場した全国高校サッカー選手権で脚光を浴び、97年に横浜M入り。22歳で史上最年少MVPに輝くなど、一気にスターへの階段を駆け上がった。
セリエAのレジーナを経て加入したセルティックでは、数々のスーパープレーで多くのタイトルを獲得。06~07年シーズンの欧州CLでマンチェスターU相手に決めたFK2発は、今も語り草となっている。まさに直接FKは俊輔の代名詞。J1でも最多24本のFK弾を誇る。

人一倍愛した日本代表でも一時代を築き、全てをささげてきた。2度出場したW杯では、思い描いたプレーは見せられなかったが、アジア杯などタイトル獲得にも貢献。03年コンフェデ杯ではフランスのGKバルテズから芸術的なFK弾を決め、05年の同杯では最強ブラジル相手に強烈なミドル弾を叩き込むなど、世界に衝撃を与えた。
数々の栄光の裏では、02年日韓W杯のメンバー落選、横浜時代の13年リーグV逸など挫折も多く経験したが、悔しさをバネに再び頂点に返り咲くその姿は誰をも魅了した。

何がそこまで俊輔を突き動かすのか――。かつて引き際について「燃え尽きたい」と話していたが、決して燃え尽きることのないサッカーへの情熱。だが、右足首の状態は数年前から既に限界を超えていた。

 そんな大好きなサッカーから、引退後も離れることはない。既にB級コーチライセンスを取得済み。将来はベンチで采配を振る姿が期待される。天才レフティーの芸術的なプレーの数々は、永遠に人々の記憶に刻まれる。

◇中村 俊輔(なかむら・しゅんすけ)1978年(昭53)6月24日生まれ、横浜市出身の44歳。97年に桐光学園から横浜M入り。02年7月にレジーナ(イタリア)移籍。05年7月に移籍したセルティック(スコットランド)では多くのタイトルを獲得。09年6月にエスパニョール(スペイン)に移籍し、10年2月に横浜復帰。
17年から磐田でプレーし、19年7月にJ2横浜FCに加入した。00年と13年にJ1でMVP。日本代表は98試合24得点。W杯は06、10年に2度出場。1メートル78、71キロ。利き足は左。
https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2022/10/17/kiji/20221016s00002180872000c.html
https://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2022/10/17/jpeg/20221017s00002180027000p_view.webp

【横浜FC・中村俊輔 今季限りで引退 44歳決断 日本を世界を魅了した黄金の左足 代表98試合出場24得点】の続きを読む

このページのトップヘ