SPORTS FIELD

さまざまなジャンルのスポーツニュースを取り上げた 5ちゃんねるまとめブログです。

福留孝介

1: 名無しさん@恐縮です 2023/10/03(火) 18:26:04.83 ID:g655JHAW9
2023年10月03日

 プロ野球中日の来季2軍監督の候補に、福留孝介氏(46)の名前が挙がっていることが10月3日までに複数の球界関係者の話で明らかになった。中日の“来季組閣”を巡っては、立浪和義監督(54)が2軍監督にOBで盟友の井上一樹氏(52)を招聘し、PL学園高時代の同級生、片岡篤史2軍監督(54)を1軍ヘッドコーチとする方向で調整していたはずなのだが……。

 ここに来て混迷の様相を呈している上、立浪監督のPLの後輩に当たる福留氏は入閣に難色を示しているのだという。受諾か固辞か、予断を許さない状況で、中日のオフは今年も激動の予感がする。

福留氏は「山崎派」、現役時代から微妙な立浪監督との関係

 井上氏には1軍打撃コーチ就任案が浮上し、代わりに同じ左打者だった森野将彦打撃コーチ(45)を2軍へ配置転換。立浪監督と指導方針の相違から昨季途中に2軍降格した中村紀洋打撃コーチ(50)は退団する運びで、首脳陣は大幅に刷新されそうだ。立浪監督が目指していたPLの先輩、清原和博氏(56)のスタッフ入りは、親会社の中日新聞社サイドがゴーサインを出さなかったことで立ち消えになり、福留氏が加入すればコーチ人事の目玉となる。

 福留氏は昨季限りで現役引退した。PLの大先輩である監督が就任した年に引導を渡されたことに、さる中日OBは「2人の微妙な関係がよく表れていた」と述懐する。

 福留氏にとって立浪監督は憧れの存在だった。小学校の頃、故郷の鹿児島から家族総出で宮崎の中日の串間キャンプまで見学に出かけ、当時PLからプロ入りした立浪監督の練習をかじりつくようにして見ていたのは有名な逸話だ。

 福留氏はその背中を追い、PLに進学し、同じように遊撃手として中日に入団した。プロ入り後はしかし、その関係は蜜月とは言いがたいものだった。プロの世界では少なからず“派閥”が存在する。福留氏は「立浪派」ではなく、立浪監督の1学年上で主砲として活躍していた山崎武司氏(54)の「山崎派」だった。

ハワイの合同自主トレは山崎氏の楽天移籍後も継続

 同OBが回顧する。

「孝介はタツ(立浪)を目標にプロに入ってきたが、武司の方になついて、自主トレは(2年目から)ハワイで一緒にやるようになっていた。武司が楽天に移籍しても合同自主トレは続いた。武司とタツは関係がいいとは言えず、タツと孝介と関係はつかず離れずになっていた」

 昨年の福留氏の現役引退時も、立浪監督がPLの先輩として手心を加えた形跡はない。強いて挙げるなら打率1割にも満たない極度の打撃不振に陥りながらも、実に交流戦まで1軍に置いてチャンスを与えたことか。しかし、それさえ名球会入りした大打者に対する、どの監督でもするような配慮の範疇と言えた。

 福留氏も立浪監督に相談することなく、引退を報告した。

「(昨オフは)タツは孝介をコーチとして誘っていない。孝介も(プロ入り後)ユニホームを着続けていたので一度、外部から野球を見たいとの気持ちが強かった。誘われていたとしても、(今季も)見通しが暗かったチームに入りたくはなかっただろう」(同OB)

続きはソースをご覧ください
https://www.dailyshincho.jp/article/2023/10031700/

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/09/21(木) 20:20:43.77 ID:DCe9bXC39
2023.09.21
 「阪神タイガース-読売ジャイアンツ」(20日、甲子園球場)

 三回裏の攻撃が始まる前に大粒の雨がグラウンドに降り注ぎ、試合が一時中断した。この雨によりカンテレで解説を務めた福留孝介氏と鳥谷敬氏だ。
 甲子園は試合前から強風が吹いており、銀傘下にあるバックネット裏の中継席が水浸しとなる事態に。福留氏は傘を手に持ち、鳥谷氏はカッパを装着して中継に臨んだ。
 本来は雨が降り込んでくる場所ではないが、珍しい光景に福留氏&鳥谷氏も苦笑いだった。なお試合は午後6時37分から中断し、同47分に再開された。

https://www.daily.co.jp/tigers/2023/09/21/0016836167.shtml

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/03/28(火) 13:31:29.83 ID:lJcuoBHi9
3/28(火) 12:30配信 スポニチアネックス

 中日、阪神、大リーグ・カブスで活躍し、06年、09年のWBC連覇メンバーだった福留孝介氏(45)が28日、ABCテレビ「おはよう朝日です」の火曜スポーツコメンテーターとして初回出演。現地で見届けたWBC・侍ジャパンの裏話を明かした。

 準決勝、メキシコ戦で吉田正尚が放った起死回生の同点3ラン。福留氏は「佐々木朗希君が…。先発して打たれて、その後降板したんですけど。このホームランの時、裏で号泣してたんですよ」と、思わぬ姿を目撃したことを明かし、「えーーっ!」とスタジオに驚きの声が上がった。

 「うれしすぎて。良かったあ~って安心して大泣きしてた」といい、「まだ若いんでね、すごい不安だったと思うんですよ。それを先輩が助けたっていうね」と、感動シーンを振り返っていた。

https://news.yahoo.co.jp/articles/5824129ca75742f9aefa5ea9a14b62357ed35dc2

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1: 名無しさん@恐縮です 2023/01/09(月) 10:23:32.87 ID:eavYU+CM9
 2022年シーズンを最後に24年のプロ生活に終止符を打った福留孝介氏。中日、メジャー、阪神、そして中日と歩んだキャリアは、中日第1期、米国期、阪神・中日第2期の3ステージに大きく分けられる。その中でも、2008年からカブス、インディアンス、ホワイトソックス、ヤンキースの4球団でプレーした米国での5年間は、どのような意味を持ったのか。福留氏の米国期にスポットを当てた連載の第2回は「想像しなかったメジャーの実際」について迫る。

 1999年に日本生命からドラフト1位で中日入りして以来、リーグMVP1回、首位打者2回、ベストナイン4回、ゴールデングラブ賞4回に輝くなど、日本でトップクラスの外野手に成長した福留氏は2007年オフにFA権を行使。カブスと4年総額4800万ドル(当時のレートで約53億円)の大型契約を結んだ。

 開幕戦で9回裏に同点3ランを放つ鮮烈なデビューを飾った1年目は、前半こそ正右翼手を任されたが、打率の下降に合わせて先発機会が減少。2年目以降もレギュラーの座は保証されず、守備固めや代打要員にもなった。5年目途中からはヤンキース傘下3Aで長いバス移動も経験。日本にいれば“しなくてもいい苦労”だったかもしれないが、メジャーの本質に触れたことは大きな財産だ。

「どうしてアメリカではマイナーからどんどん新しい選手が上がってくるのか。もちろん実力のあるなしも関係しているだろうけど、日本と何が違うんだろうと考えた時、選手はみんな、頑張ってメジャーに上がってお金を稼いでいい生活をしようと本当に必死。そういう姿を見ると、日本の2軍はすごく恵まれているなって。だって、キャンプが終わる頃になると、マイナーの選手たちがメジャーのロッカーに来て『お下がりをください』って道具を一式持っていくんだから。そんな光景、日本じゃ見ないでしょ」

 米国は契約社会と言われるが、スポーツ界も然り。メジャー契約を結べる選手は1チーム40人で、それ以外のマイナー選手とは年俸も待遇も雲泥の差。いくら成績が良くてもマイナー契約ではメジャーの試合に出られない。「まず最初の関門として40人枠に入らないことには、勝負の舞台にも立てない。そこの差がはっきりしていることって大切かもしれないね」と、明確な区切りについて話す。

米移籍後から考えるようになった「自分に必要なもの」

 米球界の仕組みや契約が及ぼす影響について、実際に海を渡るまで詳しくは知らなかったという。その他にも「百聞は一見にしかず」を実感することが多々あった。

「あれだけ長距離の移動があったり、休みがほぼなく10連戦以上の中にダブルヘッダーが入っていたり、ダブルヘッダー第1試合が終わった1時間後くらいに第2試合が始まったり。選手は平気な顔でやっているから、日本で中継を見ているだけでは、そんなことになっているとは想像がつかない。シーズン中の練習に関しても、向こうの選手はどうしたら試合で一番いいパフォーマンスを出せるかを考え、そのために休みが必要だと思えば休む。僕が若い時に考えたこともないような考え方に触れて、そうか、と思うこともあったし」

 時間の使い方にも刺激を受けたという。日本に比べて練習時間が短いと言われるメジャーでは、チーム練習こそ短いが、選手は個々の責任でトレーニングやケアを行っている。

「基本的に自分のためにしっかりと時間を使う。みんなでワイワイガヤガヤ、というのは見ないですよね。自分で決めたことをやって、終わったら、ハイさようなら。僕は日本でやってきたことを無理矢理変えるつもりはなかったから、練習量が少なくなる分、自分で補うために球場に早く行って練習をした。日本では練習内容が大体チームで決められているけど、アメリカでは今、自分に何が必要か考えて組み立てるようになったし、時間の使い方は上手くなったんじゃないですか」

 自分をよく知らなければ、自分に必要な練習は考えられない。カブス入りしたのが31歳になる年。その前年には右肘を手術したこともあり、自分の体の声にしっかり耳を傾けるようにもなっていた。

「この時期は体が重く感じるから、こういうランニングを取り入れた方がいいなとか、体のことも考えました。ちょうど体のことを考え始める時期だったのかもしれないね。個人トレーナーにもついてもらったけど、自分に合うメンテナンス方法を探したり、リラックスできる方法を探したり、体のケアにはしっかりとお金を掛け、気を遣いました」

 米国で身についた考える習慣が、45歳まで現役という長いキャリアを支える1つの柱となったようだ。

https://full-count.jp/2023/01/04/post1323923/

【「そんな光景、日本じゃ見ない」 選手が用具の“お下がり”要求…福留孝介氏が米国で感じた格差】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2023/01/06(金) 13:47:43.76 ID:LS4J2iai9
1/6(金) 6:50配信 Full-Count

ただ「行きたい」だけで米球界へ行くと「損をすることになる」

 日米あわせて24年のプロ生活のうち、5年を米国で過ごした福留孝介氏は、その時間を「いい経験になった」「行って良かった」と振り返る。福留氏がカブスに入団した2008年以降も数多くの日本選手が海を渡った。今オフもすでに吉田正尚外野手がレッドソックス、千賀滉大投手がメッツと契約を結び、2023年から米国を主戦場とする。

 子どもたちが将来の夢に「メジャー選手」を掲げるようになった今、選択肢の1つとして米国でのプレーに興味を持つ選手は増えるだろう。では、実際に米国へ渡り、メジャーでもマイナーでもプレーした経験を持つ福留氏は、米国行きを希望する選手にどんなアドバイスを送るのだろうか。福留氏の米国期にスポットを当てた連載の最終回は「覚悟の話」だ。

「自分はFAになって、年齢的にも最後のチャンスだと思ったから『よし挑戦しよう』って行ったけど、だからって『僕、アメリカに行きたいんですよね』っていう選手全員に『おう、頑張ってこいよ』って簡単に言えるかといったら、う~ん……って思う」

 少し困った表情を浮かべながら、言葉を繋いだ。

「中途半端な気持ちで行くと、損をすることになると思う。どうしたいのか、先のビジョンを持っていないと、何も得ずに嫌な思いだけして帰ってくることになると思う」

 福留氏が移籍した2008年から15年が経ち、より多くの試合中継を楽しめたり、情報が時差なく手に入ったり、メジャーは一層身近な存在となってきた。だからこそ、メジャー選手を夢見る子どもたちが増えたのだが、実際には身近になりはしても、誰もが成功するような甘い世界ではない。

「本当にメジャーに行きたいのだったら、そこに行くまでに何をしなければいけないか、行ったら何をしたいのか、その後にどう繋げていきたいのか、ある程度明確なビジョンを持っていないと。ただ『行ってみたい』だけで行っても、せっかく日本で積み上げたことが無になる可能性は高い。行きたい気持ちは分かるけど、行って何をしたいのか、だよね」

https://news.yahoo.co.jp/articles/f3f0f2d5f0e7b14beef98e451366360bfd329f2e

【「日本で積み上げたことが無になる」 安易なMLB挑戦に福留孝介氏が鳴らす警鐘】の続きを読む

1: 名無しさん@恐縮です 2022/09/23(金) 23:23:54.44 ID:CAP_USER9
(セ・リーグ、中日3―9巨人、23回戦、巨人13勝10敗、23日、バンテリンD)試合後、今季限りで現役を引退する福留孝介外野手(45)の引退セレモニーが行われた。冒頭で現役生活24年間を振り返る映像や、PL学園高時代の恩師、中村順司氏(76)、2009年のワールド・ベースボール・クラシックをともに戦った日本ハム・稲葉篤紀ゼネラルマネージャー(50)、元ソフトバンク・川崎宗則氏(現BCリーグ栃木、41)、阪神時代に同僚だった藤川球児氏(42)、鳥谷敬氏(41)、糸井嘉男外野手(41)らからのメッセージ映像が「106ビジョン」に流れた。その後はPL学園高の先輩・立浪和義監督(53)、同学年の荒木雅博内野守備走塁コーチ(45)、後輩の大島洋平外野手(36)、大野雄大投手(33)、岡林勇希外野手(20)、そして家族から花束を受け取り、ファンに向けてスピーチを行った。

マウンドでは仲間に囲まれ、胴上げは背番号と同じ9度。記念撮影を行い、場内を一周してファンに最後の別れを告げた。さらに、ここで1999年同期入団の岩瀬仁紀氏(47)、鳥谷氏がサプライズゲストとして登場。2人からも花束を受け取り、ほおを緩めた。「孝介コール」に包まれるなか、盛大なセレモニーは幕を閉じた。

▽福留の引退スピーチは以下の通り。

「まず初めに、きょうこのような引退セレモニーを開いていただきました中日ドラゴンズ球団、そして立浪監督をはじめ、コーチ、選手、裏方のみなさん、そして、最後まで球場に残っていただきました、ファンの皆様、本当にありがとうございます。

小学生のときに串間キャンプで中日ドラゴンズを見て、中日ドラゴンズのチームに惹かれ、そして、その中にいた立浪監督にあこがれ、プロ野球選手を目指してきました。1998年、星野監督の計らいで、ファン感謝デーに呼んでいただき、後ろにあります、バックスクリーンの扉の所から一人で出てきたとき、その恥ずかしさ、いまでも鮮明に覚えています。その日から僕のプロ野球人生がスタートしました。

24年間、素晴らしいチームメート、素晴らしい指導者のもと、プレーさせていいただき、その中に佐々木恭介コーチと出会い、『打撃を一から作り直そう』、そういって毎日、バットを振り続け、朝起きるときには自分の手がバットの形をして固まったまま。そんな日々を繰り返しながら、松井秀喜さんに勝って、初めて首位打者を獲得したとき、この世界でやっていける自信を持てたのを思い出します。

その後、リーグ優勝、日本一、本当にたくさん楽しい思い出をつくらせていただきました。しかし、日本一になったときに自分自身、故障でその場所にいられなかった、その悔しさ、その気持ちもここまでプレーを続けてきた原動力だったと思います。

その後、海外、阪神タイガースでプレーをさせていただきました。阪神タイガースでは8年間、日本一のグラウンドで、熱狂的なファンの皆様の声援の中でプレーさせていただき、そして、最後の甲子園球場のときにはライトスタンドから大きな福留コールをいただき、僕の一生の宝物です。本当にありがとうございました。

2年前、このドラゴンズに帰ってきて、もう一度このユニホームを着てプレーできたこと、そして、自分の野球人生がスタートしたこの場所で、ファンの皆様の声援に包まれて、ユニホームを脱げる。僕は本当に幸せ者です。

最後に、24年間、戦い続けることのできるこの体で産んで、育ててくれた両親、本当にありがとう。そして、一番近くで応援し、支えてくれた家族。本当にありがとう。

僕は今日でユニホームを脱ぎますが、ドラゴンズにはまだまだ期待の選手がたくさんいます。ドラゴンズファンの皆様、これからもドラゴンズへのご声援、よろしくお願いします。

24年間、あたたかいご声援、本当に、本当にありがとうございました」

サンスポ

https://news.yahoo.co.jp/articles/78ea2d3a85c6364b176e391c259456cc97b6ca3e

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1: 名無しさん@恐縮です 2022/09/09(金) 14:38:49.78 ID:CAP_USER9
スポーツ報知 9/9(金) 11:45配信

 「東の澤井、西の福留」1995年の高校野球で注目された2人のスラッガー。8日、引退を表明した中日の福留孝介外野手に対して、当時のライバル、澤井良輔さん(44)が「同い年の希望の光でしたからね。お疲れさま、なんですけど、ちょっと寂しいです」ともらした。

 銚子商からロッテに入団、05年に戦力外通告を受け、ユニホームを脱いだ。今は外資系保険会社で営業職に就いている。サラリーマンになって13年。この日、一本の電話にハッとした。「福留くん引退だってね、ってお客さんから連絡もらったんです。彼がいたからこそ、今の僕があるんだな、って改めて感じました。ありがたいです」。

 2人の出会いは94年の第1回アジアAAA選手権。高校2年の冬、日本代表として共に戦った時に、澤井さんは衝撃を受けたという。「僕も含め、全国から集まったみんなそれぞれ、お山の大将だったわけですよ。でも、彼の打撃には度肝抜かれました」。ふと、打撃について質問をすれば、「そんな考えじゃ、ダメだろ」と事細かにバッティング理論を語られた。

 「そんな打撃論なんて、それまで聞いたことなかったですからね。しかも同い年なのに、上から語られて…」と笑って振り返る。そして冒頭のように、ライバル関係とされるようになったセンバツ、夏の甲子園に続く。

 だが、出会ったときから福留とのレベルの差を感じていた澤井さん。メディアに比較されるたびに「いい迷惑だった」という。忘れられないのは、福留も中日入りして迎えたある年のオープン戦の試合前。ナゴヤドーム(現バンテリンドーム)で再会を果たした時のことだ。

 「むこうはバリバリの1軍選手。そして僕はオープン戦から成績残さないといけない控え選手。試合前に打ってたら、『必死こいて、ちゃんとやっとけよ』みたいなこと、言われたんですよね」。周りにはロッテの後輩たちも居た。「すごく恥ずかしかった」。3人1組で5分しか与えられない打撃練習をする立場で、さらに肩身の狭い思いをしたことを鮮明に覚えている。

 志半ばでユニホームを脱いだ後、福留の活躍を応援することなどできなかった。「でもそれは、自分が野球に未練があったりしたからだと思うんです。今こうして働いて、自分の仕事にも誇りを持っている中で、変わっていく自分を感じています」。

 ふと見た野球ニュースで福留の活躍を知れば「うれしい」と思い、代打で出場したシーンを見れば「頑張れ!打て!」と自然と応援した。「紆余曲折を経て、やっぱり孝介はすごい、って素直に思えるようになったんですよね。何々世代って言いますけど、確実に福留世代、ですからね」。世代で最後の最後までユニホームを着続けた男に「本当にありがとう」と伝えたいという。

 「ホントは、ちょっとぐらい澤井世代って言われたかったんですけどね。でも、今から思い返しても、そんなチャンスちっともなかったですけど」澤井さんはそう言って、笑った。

報知新聞社
https://news.yahoo.co.jp/articles/ef1ab826908c4823c19d3c5a0f9d26c6932d85a8
元ロッテの澤井良輔さん、今は外資系保険会社で営業職を務めている
https://i.imgur.com/bxd5MNr.jpg

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1: 名無しさん@恐縮です 2022/09/08(木) 04:34:41.29 ID:CAP_USER9
https://pctr.c.yimg.jp/t/amd-img/20220908-00000001-chuspo-000-2-view.jpg
2000試合出場を達成し、記念のボードを掲げる福留=2021/10/10

中日・福留孝介が現役引退へ 球界最年長の通算2450安打 首位打者2度、MLB、阪神でもプレー
https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20220908-00000001-chuspo-base

球界最年長の中日・福留孝介外野手(45)が7日、現役引退する考えを固めた。1999年に入団し、07年に米メジャー挑戦。阪神をへて、昨季14年ぶりに竜に復帰した。昨季はスタメンに代打の切り札として頼られたが、今季は22試合出場で23打数1安打、打率4分3厘。心の声を聞き、球団と話し合い、プロ24年のキャリアに終止符を打つと決めた。近く会見して思いを打ち明ける。

福留は大汗を流して走っていた。雨を吸い込んだ芝生が太陽に照らされる。湿気でムンムンした2軍・ナゴヤ球場。ダッシュしてスパイクに履き替えてキャッチボール。ルーキー鵜飼の胸に放った。日常との違いは、引退を決めて臨んだ練習だったことだった。

 大きなモチベーションを胸に開幕した。昨季はスタメンや勝負どころでの代打などフル回転。91試合の出場で出塁率3割1厘と名球会会員の顔を利かせた。

 プロ24年目。竜入団時の「チームの精神的支柱」で、かつPL学園高の先輩・立浪監督が就任した。「個人的な目標なんてない。チームとして何とか優勝争いに入っていく。そういうシーズンにできたらいい。新しいチームで、自分が少しでも手助けができるようにやっていきます」。目を輝かせていた。

 結果は6月中旬に出場選手登録を抹消され、そのまま2軍暮らし。優勝争いできずにチームを去るのは苦しい。ただ、このままプレーし続けて指揮官の重荷になるのはもっと避けたかった。今月上旬、球団首脳と話し合った。今後の振る舞いとして、おぼろげながら感じていた「引退」の輪郭がハッキリした。

 球界を代表するプレーヤーになった。竜戦士としての2006、米移籍後の09年、WBCでは世界一に貢献した。06年、準決勝・韓国戦では代打で決勝2ラン。実況の「生き返れ、福留」は名文句となって語り継がれている。

 NPB通算2022試合出場で1952安打、409二塁打、285本塁打、打率2割8分6厘。メジャーでは2008年からの5年間で596試合出場し、498安打、42本塁打。通算2450安打は記録にも記憶にも刻まれている。

 近く実施される会見では、どんな表情で、何を語るのか。球団は本拠地最終カードとなる23日からの巨人3連戦のいずれかで、セレモニーを実施する方向で調整している。

▼福留孝介(ふくどめ・こうすけ) 1977年4月26日生まれ、鹿児島県出身の45歳。182センチ、90キロ。右投げ左打ち。PL学園3年の95年ドラフトで7球団競合の末、近鉄に指名されたが、入団を拒否して日本生命へ。99年に逆指名で中日にドラフト1位入団。2007年オフに海外FA権を行使してカブスに移籍。メジャーで5年間過ごし、13年に阪神入りし、21年に中日復帰。96年アトランタ、04年アテネ五輪出場。WBCは06、09年の2大会連続優勝に貢献。首位打者2度(02、06年)、最高出塁率3度(03、05、06)のタイトルを獲得。06年はMVP。ベストナイン4度、ゴールデン・グラブ賞5度。

◆PL学園出身選手 福留の引退により、PL学園出身の現役選手は米大リーグ・ツインズの前田健太と、2019年に東洋大からドラフト7位でオリックスに入団した中川圭太の2人だけになった。80年代に清原和博や桑田真澄、立浪和義、90年代には今岡真訪や松井稼頭央など多くの選手を輩出してきたが、中川は16年に野球部が休部となった同校出身最後のプロ選手と言われている。最近では11年に中日に入団した吉川大幾が巨人に移籍後、20年限りで引退した。

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